続 渋沢栄一を学ぶ

この投稿をInstagramで見る

. 【前投稿のつづき】 経済の視点からみてみると、日本人てすごくファイナンスに長けた国なのですね。  まず、世界最初の証券先物市場といわれる堂島米市場(享保元1716年)では、取引には米俵現物じゃなくってちゃんと米切手なるものが発行されており、値段も米の品質のランク付けで決められていたそうで、流通は今と何ら変わらないとか。  また、第二次世界大戦中も日本政府は意図的にデフレを発生させていたので、株券も発行されてちゃんと配当金も支払われていて、実は市民生活は意外と潤っていたこともわかっているんですって。でも、郵政貯金を促さた市民のお金は、殆どが軍費に充てがわれていたらしいですけど。日本人の貯金癖は、この時代のプロパカンダが影響されているんですね笑。 南満州鉄道の株券からも、日本の民間が全額負担したことがわかると。証拠に、終戦後の日本は回収出来なかった分できちんと赤字だったのだそう。  この辺、ご興味ありましたら、渋沢栄一が新札と公表される前に、タイミングよく千田さんが書かれたという本『日本経済の心臓 証券市場誕生!』をお読みくださいませ♪  しかし、千田さんの知識欲ったらすごいんです✨ 例えばですね、日本初、明治政府が発行した新札って、なんとゲルマン紙幣だったのだけれど(印刷機がないからフランクフルトで印字したものを輸入していたらしい)、水につけると滲んだりするのを、水にも強い和紙を用いた国産紙幣を発行するにあたり、石川県の(某大手製紙会社の発祥の地)技術者を江戸に呼んだんですって、国家機密だし。しかし、その一族は地域の技術を売った裏切り者にされて村八分に。「当時の人はね、嫌がらせにその家の先祖の墓を全部掘り起こして、遺骨もぜんぶ川に流しちゃったんです。江戸に残った○○姓の方は、その方々の末裔なんです」って…なんでそんなこと何処でお知りになったんですか⁈って、いよいよ問うてみれば、なんとご自身で和紙の資料館に足を運んでお調べになったんですって‼︎ もう…渋沢栄一さんより、千田さんの方がインパクト大でした笑  「米俵は基本的に、横に置くと形が潰れていくので、このように縦に置きます。今の子供たちは、米俵は60kgと教わっていますが、それは明治に統一された話でして、それまでは藩によってまちまちで輸送しやすい20〜30kgだったようです。馬が潰れちゃいますからね。 米俵3つで〝一石〟。一石というのは重さの単位ではなく戦争の単位でして、概ね、成人男性が1年間に消費するお米の量です。つまり、100石というのは、100人の兵隊を養える土地だということです。 一石の単位以前は、1R(一反)の面積から穫れる量を〝一貫〟としていたんですけど、痩せた土地もあれば豊かな土地もある。だから、織豊時代の織田と豊臣の打ち直しによって、〝収穫量〟を基準とした一石としたんです。これはある種、フェアですよね。だから、同じ一石でも土地の面積が違うんです。 例えば、薩摩藩の50万石は面積が広いんですが、伊達藩の50万石は豊かな土壌でお米がとれやすいので面積が狭いんです。 だから皆さん、江戸時代の地図を見たときに、藩の大きさと石高があってないなあと思いませんでしたか?」  〝思ってた思ってたーっ!(遅っ) しかし、なぜ証券取引所に実物の米俵⁈〟 他にも、マジ⁈と思うお話がたくさんありました。 いやあ、感動ある勉強って大事、感動をくれる先生ってほんと大事だなあって、あらためて実感しました。 あー楽しかった♪  なんと、#東京株式取引所創立證書 (貼付印紙が○千万⁉︎)、渋沢栄一が発案した#公債 、#株券 の原本を手にとって見せていただきました✨ 注:株券も今となってはただの紙切れだそうです。  念のため、渋沢栄一直筆サインに触れておきました、目を¥マークにして笑。  日頃から気にかけてくだることにも、このような学びを機会を与えていただいたことにも、感謝感謝でございました✨

東山 麻美さん(@mami.higashiyama)がシェアした投稿 –