渋沢栄一を学ぶ

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. 新一万円札になるお方 #渋沢栄一 さんについて学ぶ in #東京証券取引所 (貸切)  正直、#渋沢栄一 さんにそれほど興味があったわけではありませんし、電子取引メインとなったいまや然程面白い風景も見れんだろうなどと思いつつ、元上司からの直々のお声がけにてご一緒させていただきました。 (※元上司とは 私が丸の内OL社長秘書だった頃、プロパーさんからのいびりやセクハラなど、一般社会で浮きまくる私を見守り面白がってくれた恩人なのです)  ところが!徹夜明けの眠い頭もシャッキリ✨ 流石、NHKや経済新聞の情報元、官僚教育担当の為せる技!株式会社東京証券取引所 金融リテラシーサポート部の千田さんのお話にすっかり魅了されてしまいました✨ その知識量、プレゼン能力、好奇心は天才的! いますぐ教育者になっていただきたいお方✨ 大判小判のようにザラザラ流れ出る知識のなかで、 私のレベルで拾い上げた内容を少しご共有させていただきます。  【Index】 ・渋沢栄一さんの何がすごいって ・西郷どんてやっぱりすごかったんやなあ涙 ・日本人て昔からえらい! ・千田さん著書は読む価値あり✨ ・感動する勉強って大事だなあ ・とりあえず渋沢栄一直筆サインに触れて金運アップ   時は、#幕末 #明治維新 に遡る。 皆さんはお金がなかったらどうしますか?→稼ぎますよね。でも、収入源が旧天領のみにも関わらず、戊辰戦争後の国土復興も道半ばで財政苦しい #明治政府は、「そうだ、お金をつくればいいじゃない」と新札を発行し、インフレを招きます。  明治2年の版籍奉還では、藩ごとに税を徴収する超地方分権みたいなもんだったので、明治政府の実入りはありません…かといって、旧藩主から領地を召し上げようとして代替資金を発行するとインフレを悪化させてしまう、、 そこで、渋沢栄一の登場です✨  渋沢栄一の発案で、旧藩主の領地と交換する補償として、明治政府の#公債 を発行したんですね。それだけでなく、ここからがアイデアマン栄一!その公債をそのまま#株 に交換できるようにしたのです。そうすることによって、紙幣発行を最小限にしてインフレを抑止し、民間が年金を稼いでくれるじゃないかいう算段✨これを#廃藩置県 といい、東京株式取引所が創設される布石となり、渋沢栄一が「日本のすべての会社の生みの親」と呼ばれる所以ですね。流石、埼玉深谷の富農一族。藍玉の転売業で〝競り〟を導入したり、フランスはパリ留学の知見が生きたんですねぇ。  ここに至る経緯として、(ちょっとこの辺特に学のない私としてはお恥ずかしながら疎いのですが) 超地方分権だった日本においては、明治政府発足など対岸の火事だったために、幕府と明治政府が同時進行した魔の4年間というのがあるそうな。  余談ですが、#尊王攘夷 って一語で使われることが多いですけれど、尊王(天皇を敬うこと)と、攘夷(移民反対運動)は全く異なるものなので、決して天皇が攘夷を望んでいたわけではないそうです。が、栄一つぁんも勘違いしちゃった一人で、高崎城焼き討ちや横浜で外国人襲撃したりしちゃったみたいです。 後に考え直して、慶喜の将軍就任に伴い幕臣となり、その後、明治政府出仕、井上馨の部下として租税改革などに従事。退官後、三井組と協力して第一国立銀行を設立した実業家に…と、こうなるわけですね。ご自身も敢えて秋田や仙台に会社を置き、地方創生の先駆け的人物でもあったと。  話戻りまして、西南戦争って所謂、最大級のデモというべき民衆の不満の頂点で、戊辰戦争でインフレ進行→版籍奉還→佐賀の乱→神風連の乱→西南戦争と公債価格も大暴落。とどめの西南戦争の戦費は4,157万円(国家予算の70%)だったそうですが…それでも、西南戦争は明治政府にとって必要だったのよね。 民衆の不満が頂点にあったとき、デモを起こすなら江戸(山梨)でも天領(水戸)でもよくって、なんならもっと規模を大きく爆発させることが出来たはずのに、敢えて薩摩だったのは… もう諦めよう、これで終わりにしよう、新時代を明治政府に任せようっていう、決して明治政府を潰させないパフォーマンスだったのだと。(西郷ど〜ん…もっかい大河見直そう)😭✨ そうやって経済の視点からみてみれば、歴史の裏付けがとれて面白と、千田さんも仰ってました。(再掲: 株式会社東京証券取引所 金融リテラシーサポート部) 【次投稿へつづく】

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