ほんのきもち

〝ほんのきもち〟の連鎖。

いつもこんな風に、少しの食器なら片付けやすいようにまとめてから、席を立つ。
(濡れおしぼりは他人が使ったのを触るのは気持ち悪かろうと思って、袋にしまう。分別するなら面倒かけてごめんなさい)

いつも何の気なしにやっているのだけど、
昨日のカフェでお会計のあと、何処でみていたのか青年店員さんが、「テーブルをキレイにしてくださって有難うございます。」とまさかのお礼を言ってくださいました。

すんごい、びっくりした!

けど、なんかよい出会いをした気がした🌼

 

いいオーラだしてる大賞

本日の【いいオーラだしてる大賞】
脱サラ後に、自宅のガレージで仏像彫り始めたおじさん。
おじさんの自慢→道具の刃を自分で研げること。
おじさんの悩み→ちょっと右足が短足になっちゃったこと♡
おじさんに許可を得て撮影後、
現在、かのD社でガシガシ働く元同僚に転送。
なぜなら、ともにガシガシ働いた時代から奴は口癖のように言っていた。 ー俺はのぼりつめたいんじゃない、仏像を彫るのが夢なんだ。ー

「未来の君がおったで」

「激アツやん!!!」

「自分ちのガレージでやってはった
脱サラしてはじめたんやと」

「羨ましすぎる
オレも脱サラしたい。」

「残念だがまだ早い。」

「。゚(゚´ω`゚)゚。」

「えらいぞ、とうちゃん
お疲れさん」

「ありがとよ」

彼には3番目のお子さんが生まれたばかり。
目指せ!仏像彫りへの道✨✨

 

明日は我が身

書き物をするので、頭を柔らかくするために散歩をした。
秋の散歩は買ってでもした方がいい。ほんとうに美しい。
里芋畑にフジバカマ(花)を見つけて、写真を撮ろうと思いっきり身を乗り出していると、「好きに(畑に入って)撮っていいよ。今日はあったかいねぇ。」と、もっとあたたかくなる言葉をいただいた。
一輪車を押したツナギのお爺さん。

こんな広大な畑をお持ちだなんて、さぞかしお金持ちなんだろうなあ…なんて思いながら、
「ありがとうございます。ここ、素敵ですね。」
とお礼を言うと、お顔をくしゃっとさせて、
「いやあ、いまの政治家がどんどん税金をあげてくもんで、もう手放すしかないんだよ。建物をたてろたてろと色んな人が言いに来る。」と笑った。

ええっ⁈
つらい…こんなキレイな場所がなくなるのは辛い…‼︎
なんの解決策も見出せず怪訝な顔をしていると、「お姉さんはカメラマン?」とおじさんは言った。
いえ、カメラマンなら、もっとちゃんとしたカメラを持っていますよ。(→スマホ)
「偉いねぇ。そんなすごいモノ使いこなして。お姉さんは凄いよ。儂は馬鹿だから、80歳過ぎてパソコン教室にも行ってみたけど、ついてけなくて迷惑になってしまった。だから、こういう仕事をするしかないんだ。この間は、役所に説明を聞きにいったんだけど、詳しくは…ほれ、あの…」
ああ、続きはウェブで、ですか。
「それか?もっとわからない。長いこと並んだのに、それだよ。テレビのリモコンも、小さいボタンがいっぱいになってしまって、同じボタンを押しても画面が元に戻らないんだよ。これはもう、俺たちは用済みってことなんだろうなあ。」と、相変わらずおじさんは笑っていた。

これは最近のテーマだ…。どこかに主軸をもって社会は動いて行かなきゃならない、仕方がない…でも、何かが間違っているのは確かだ。社会の本質は、社会的弱者に現れるものだから。

また怪訝な顔をさせて悪いと思ったのか、おじさんは「お邪魔しました。どうぞ、ごゆっくりしておいで。」と、ゆっくり一輪車を手に持った。

おじさん!そのご意見、大事です!ユーザビリティ的に…あっ…そーゆーこと、皆んな分からなくなっちゃうと思うから。そういうご意見、ほんとはすごく大事だと思います!
と、なんの解決にもならないことを口走ってみたものの、「いやいや、儂が頭が馬鹿なんだよ。」と、おじさんは土の上を気持ちよさそうに歩いて行った。

なんだって、命を張って私たちのいまを守ってきた人たちが皆んなして、〝自分は馬鹿、馬鹿〟言うんだ…?
明日は我が身か…?

リフレッシュするつもりがなんだか頭が腫れてしまったので、ひとまず文字に排出する。

 

渋皮煮

ふらりと入ったお店で、いただいたデザートの渋皮煮があんまり美味しかったもので、カウンター越しの女将さんがお料理の手を休められた折をみて秘訣を伺いました。

栗は大きさよりも表面に艶があるものを選び、柔らかく味を染込ませるには、渋の筋をいかに根気よくとるかにかかっているそうです。
一度に剥くのは大変だけれど、乾かしちゃダメ。疲れたら途中で水につけておけばいいのよ、と。
少しずつ糖度をあげて…少し煮ては、とめて、を繰り返し、ゆっくりとシロップを染み込ませてゆきます。それを、1週間〜10日⁉️

そりゃあ、美味しいわー✨

お菓子だと、それで出来上がり。昔の渋皮煮は、最後に少しお醤油を入れたんですって。
いまの季節は冷蔵より常温の方がおすすめだそう🌰

と、お分かりのように、女将さんはとっても素敵な女性でした。
実は美味しい渋皮煮もそうですが、その佇まいや上品さにも惹かれてお話を伺えば、かつての本職は縫製をされていたそうで、お召しになられていたお洋服も、店内に控え目に飾られた繊細なレース編みも、ご自身でおつくりになったのだとか。(てっきり女優さんか作家さんとふんでいたのですが) なんと、生地の買い付けには銀座の白洲正子さんのお店にも足を運ばれていたそうで、ご本人にもお会いしたとか。

ええっ…⁉️

やはり美しさは年齢関係なく品格なのですねぇ…。✨
私も来年くらいには一度、渋皮煮をつくってみようと思います。うまくできたら、いい女になれる気がしますっ笑✨

 

人間の根本問題について

「人間の根本問題」それがいま考えるテーマです。

先日、長引く鼻声にそろそろ飽きて、抗生物質でももらおうかと駅に向かう途中の住宅街で、外観キレイな町医者を見つけました。
混んでいる場所で別のよからぬものを頂戴するのも避けたいという判断で、お宅訪問がごとく庭に立ち入ると、順番待ちのご老人がベンチに腰をかけて日向ぼっこをされていました。

一礼して通り過ぎ、入口の戸を開けようとすると、「どうした?」とご老人。
町の開業医像をそれなりに想像はしていたけれど、それにしても上下茶色のトレパンはなかろうと…。再び「どうした?」と問われて状況を受け入れ、玄関前の陽だまりで症状を伝えました。

聞くや否や、ご老人はか細い脚で立ち上がるのもままならず、こちらが手を指しのべて、ようやっと玄関から診察室に入っていかれました。きちんと並べられたスリッパは使われた形跡なし。
診察室…というより、薄暗く山ほど本がおかれた書斎から徐ろに医療用ライトを取り出すと、私の喉の奥を眺め、「よし、扁桃腺は腫れてないな。」といって、今度は下駄箱脇の陽が差し込む椅子にゆっくりと腰掛けました。
「頬骨を叩いてみて、痛みはあるか?」と、なかなかのセルフ診療(笑)。
「症状が少なくてわからないな。内科じゃなくて耳鼻科に行ったほうがいい。しかし、症状が2週間以上も続いているなら抗体が出来て治ってくる頃だけどな。」
そうですか。あの、お金は…「いらない。」
よいお天気ですね。日向ぼっこのお邪魔をしてしまって、すみませんと頭を下げて出口に向かうと、「もう、動くのがしんどいんだよ。」と先生は仰って、はにかんだ顔に品のよさが滲み出ました。

「75歳にもなると、生き方がわからない。」
靴を履き終えたところで、私は声の方を向きました。
「50の頃までは医者をやっていることも楽しかった。もう、やり尽くした。」
つい目線の高さが合わず失礼な気がしてしゃがむと、「まあ、そこに掛けなさいと」促されるまま椅子に座りました。

長生きはするものじゃないと私の祖父も口癖にしますが、私たちはその存在に確かに救われています…と返してみたものの、なんだか的を射ていない気がして、続けました。
「(なくされたものは)好奇心、でしょうか…。私もわかります。私も疲れています。セクハラなんかに(笑)。」と冗談交じりに返せば、ご老人は、はははと笑い、はじめて私と向き合った様子で、年齢など私について質問をくれました。年配者には不思議な力があり、年輪が共鳴するせいか、自身のいまの悩みなど〝人生のささいな面倒なこと〟という気がします。

「貴女は、西部 邁(にしべ すすむ)を知っているか?東大の、自殺した人だよ。」
ああ、多摩川の…
「私はあれを他人事とは思えない。あれから考えている。頭が馬鹿になり、身体もうまいこと動かなくなり、やりたいことは既にやり尽くした。自ら死を選ぶ生き方もあると思う。」
両手を軽く握り両膝にのせて…ああ、時代の人のそれだと感じました。
或る脚本家も、そのように仰っていましたね。それも、生き方…ですよね。
この町は空が広くて星が綺麗に見えます。まだ野花もたくさん残っていて、美しいなあと思います。それでは、いけませんか。

「美しいものを美しいと思う…例えば絵画など、あれを理解しようとしても、さっぱりわからない。貴女にはわかりますか。私も吉祥寺に生まれ育ったが、いまはすっかり自然が失われたのでここに越してきた。自然の美しさなら、わかります。」
絵画は…恐らく〝念〟じゃないですかね(笑)。言葉にならないことを描いているから、他人にはわかりっこないのかも知れません。好き嫌いはあっても。と、うまくないフォローをしながら、自然が失われていくことはほんとうに寂しいですよね、と共感しました。

「貴女のお爺様の年齢まで、私は30年もある…。私はこれから、良い世の中なっていく気がしないんだよ…。」
……パーキンソン病で亡くなられた物理学者のホーキング博士も仰ってました。足元ばかりを見ずに空の星を見ろ、と。私もなんだか、原点に立ち返ってみる必要があるのではないかと思っています。

気付けばすっかり1時間が経っており、美容室の予約時間が近い。
「最近は本を読んでいても、どうも理解が追いつかない。貴女は小林秀雄を知っているか。どうもわからないんだ、恐らく彼はキリスト教信者だと思うんだが…。」今度はひとりでなんとか立ち上がり、その年代物の本を手にとってこちらに見せてくれました。
小林秀雄『考へるヒント』文藝春秋新社,昭和39年

目次を見るに…この方は生きることに真摯に向き合っているのだと、共有して下さったお気持ちと持ち合わせた運命思考により、1ヶ月後にお返しにあがる約束をして本を拝借しました。

この次までに、私は考えなくてはなりません。
まずは、西部邁の生き方や時代背景、この本も読み、
ご老人がはっきりと話さなかった、〝良い世の中にならない〟という(恐らく漠然とした)理由「人間の根本問題」と、出来れば〝共有できる言葉〟を。
鼻声は自然治癒力に任せることにしました。

自然体

こちらは良書です。
〝唐突に、気功やるの⁈〟と、思うことなかれ。
恐らくイメージされているものとは違い、生活のなかにあるもの即ち〝自身のなかにある自然〟を思い出させてくれる本です。

今年の夏、苦悩した青春時代に明日を繋いでくれた学友にタイミングよく再会し、如何に自分がいらぬものを身につけているかに気付かせてもらいました。

例えば、焦りや悲しみや怒りなどは心のバランスをとるための感情だから、いつまでも続いていることは不自然なこと。
不自然なこと?不必要なもの?幸せなこと?力の抜き方……?
見分けすらつかなくなっていたときに縁あって答えに導いてくれた一冊です。

〝自然(な自分)の先に、必要なものがあること〟

すべてのことに共通した答えがここにありました。
人生折り返し地点、この本に出会えてよかったです。

天野泰司「からだの自然が目を覚ます 気功入門」春秋社

お久しぶりです。

先日のトークイベントで少しお話させていただいたことを、こちらでもご共有させていただきたいと思います。

また、私の近況を知ろうとしてくださる方は、ブログをご参照くださるようで…やはり放置しているみたいなのはいけないな、と思い、書かせていただく次第です。

 

長らくこのブログは、ファンでいてくださった皆さんとの、大切な交流の場だと思ってきました。
その意味では、私にとりましても重要なツールでした。

ですが、ここの字面だけで、私を(状態を)見えていない人から「貴女はこんな人だ」「こんな状態だ」「こんな生活だ」「運命の人だ」「何時何分にここで待っている」「今日こそ来て欲しい」などと言われても、困惑しておりました。

ちょうどその頃、プライベートでも同じことが起こっていました。
どのケースも平たく言えば同様に、「自分の思い通りになって欲しい」というものでした。
「私はパワハラ、セクハラに遭いやすい」と、先日のイベントでも笑って話していましたが、なかなか笑えるものではありません。正直しんどいことです。

自分もしんどいと同時に、相手にも「勘違いさせている」場合によっては「傷つけている」という事実もあります。
一丁前に一般企業でOLをしたときには、隣りの席の初老の上司にこう言われました。
「貴女は、“おはようございます” と挨拶をするだけで、相手を勘違いさせてしまう。ややこしくなるから、特に相手の目を見て挨拶せんでよろしい。」と。どないせいっちゅうねん。

しかし、私はここにきて、自分に欠けていたものに気付きます。
相手を思いやろう、気を配ろう、慮ろう、共有しようと無意識にしてきたことが、当然ですが相手にはどう解釈されるかわかりません。
相手があることなので、最後までケツを拭くのは容易なことではありません。
つまり、自分ばかりがよかれと気遣っていても、通じる相手でなければ、それは本来の意味を成しません。
そのような不自然な状態は、不自然な事態を招きます。

現在、社会問題となっているのは、その辺のことではないでしょうかね。
未成年者の孤独や純粋さにつけこむような事件を耳にするたびに、自分のことのようにしんどくなります。

「相手をちゃんとみて選ぶ(不自然なところを見て見ぬふりしない)」「はっきりと意思表示をする」「それでも通じない相手からは逃げる」「完全に逃げ切る(縁を切る)」まるで子どもに教えるようなことを、私も出来ていませんでした。
どんなにNOを言い続けたとしても、決してひとりにはならない。そのような存在ができたからこそ、冷静に自身の弱点を省みる余裕ができたのかもしれません。

 

私はこのブログでは、感情にまかせた心情描写ではなく、頭で考えたことを書く心理描写を用いてきました。
よって、お友達とのおしゃべりのようなそれとは異なります。もっとも、私はお友達とのおしゃべりでも礼儀として頭で考えたことを言葉にしています。
自身の体験や心情や考察を、発信コードに変換してお送りしていました。
けれど、それがうまくいっておらず相手を勘違いさせたり、自分をも傷つけたのでしょうから、潔く受け止めていました。

これからは十分に気をつけて、自己紹介となるような文章を掲載していけたらと思っております。
少し成長した私は、嫌だな、不自然だな、と思ったことからは全力で逃げて身を守ります(笑)
予めご容赦いただけると幸いでございます。

 

そして、もし、私と同じ思いをしている人がいたなら……
これって不自然だなって思ったら、引き返す勇気をもってください。
たぶん、いま、大人だって自分の自然体に気付けないでいる人がほとんどだと思います。
当たり前のことさえ解っていればいいのです。
例えば、会ったこともない人が貴方をすべて理解できるはずがありません。
貴方自身も、相手をすべて解ることはできません。
そのような状態で、簡単に弱みや純粋に自分のすべてをみせてしまってはいけません。相手の都合よく、利用させてしまうかも知れません。
困ったときにはぜひ、照れ臭くても、ほんとうの貴方を見ている人を頼ってください。そんな人をひとり、貴方のなかで決めておいてください。
こんな世の中だからと、うまくスルーすることを身につけなきゃなんて、思わないでいいです。
嫌な気持ちになったなら、それは、“不自然なことを教えてくれている合図” です。
その力を大切にしましょう。

 

さて、遅くなりましたが、先日のイベントにお越しくださったみなさん、
お話をきいてくださって、歌をきてくださって、ありがとうございました!
そして、お会いできなかったみなさんも、またどこかでお会いしましょう!

 

今夜は満月のようです。

「足元ばかりみていないで、たまには星を見上げてみましょう。」
by  Stephen Hawking

 

 

ダイアログ・イン・サイレンス

ダイアログ・イン・ザ・ダークに続き、ダイアログ・イン・サイレンスに参加してきました。

アテンドしてくださる方の魅力と、最後にポツリと聴かせてくださる本音に、このイベントの価値と意味を知ります。
音のない世界で伝え合うことの素晴らしさを教えてもらった私たちに、アテンドのカリンさんはこう仰いました。
「聞こえず訊ねたいことがあっても、最近はみんな下ばかりを見ているから声をかけ辛く、淋しいです……」てのひらをスマホにしながら。

先日、発車するホームで(恐らく熱中症で)ぐったりと倒れこんでいる方がいたのですが、ホームの全員がスマホを見て誰も気付いていなくて⁉︎ 止むを得ず急ぎ車内から電話をして駅に知らせたことを思い出しました。
もっとあたたかい社会になればいいですね……カリンさんの言葉に願いを重ねるのでした。

お子様にもぜひ参加していただきたいなあ。

https://www.dialogue-in-silence.jp

太陽の塔の内臓

その取り壊されるはずだった化石の体内には、脈々と赤い血が通っていた。

体内行きのチケットに押された入場済スタンプは万博当時と同じものだそうで、太陽の塔とタロさんに会える♪と思っていたけれど、当時訪れた母にも会えた気がしてなんだか嬉しかった。
母の記憶をきけば、「気持ち悪かった」だったが、入場してすぐに「確かに!」と共感。さすがタロさん、時代を超えて目論見通りである。

太陽の塔の内臓は、にゅるにゅるっとしたタロさんお馴染みの力強い曲線の動脈(生命の樹)が天井高く伸びており、バカでかい妙にリアルな動物たちが高所の枝に鎮座している。
あー、やばいな、これ……タロさんは、高所恐怖症にも容赦はないらしい。タロさんの芸術には挑まなくてはならないのだ。

リニューアル箇所など、ガイドさんに小学生のように質問しては、〝あー、タロさん的には、「そんな飾った光じゃなくていいよ。当時のまんま青と赤の単色の光でも、こいつらは十分に躍動しているじゃないか」とか言いそうだなあ…そもそも「未来?進歩?なんて言われても、過去も現在もなにも決定してないじゃないか。なにが人類の進化だ。縄文土器の凄さをみてみろ!」的なことを仰っていたみたいだしなあ。〟などと時代の狭間で考えさせられた。

とはいえ、無数の柔突起は、胎内音を反響させるためのデザインであったとか、恐竜の口や腹が動くなんてのは当時は驚愕の技術だったみたいだし、(ガイドさん曰く、メンテが大変だし、今じゃ珍しいものでもないので稼働させていないんだとか、残念) その機器が内臓されているブロントザウルスなんて1トンもあるらしく、それがえらい高所の枝にのっかっているもんで、撤去しようにも出来ないのだとか。タロさん、ハンパないな…と、あらためて舌を巻く。
恐らく、生命の樹なんて、タロさんの意思なくしては通せなかった企画だろうと思う。 「人間はどんどん進化していくが、肉体には根源的なものと未来が含まれている。人間は素晴らしくも悲しくもある。過去を振り返り、いま置かれている立場とくらべどちらが素晴らしいか考えて欲しい」
いま置かれている立場といえば、ちょうど太陽の塔の腕の脂肪とクロマニヨン人が見える頃、私は無邪気に下を覗き込む子供たちを横目に、前かがみに壁や床に張り付いていた……(高所限界)。見兼ねたガイドさんが、エレベータで地上へ戻してくださった。

ーーたとえ孤独でも時代に迎合するなーー
昔、おっかなく見えた化け物は、いまは頼もしく強く大きな父の背中のようである。

手塚治虫記念館

ここは、大人がひとりで引き篭もる場所なのだ。時間の許す限り哲学(本質を洞察することで問題を解き明かすための考え方を見出す営み)と向き合うことができる。

今回の20分短編映画『オサムとムサシ』に涙し、『手塚治虫 大いに語る』の画面にしがみついて、「天才かて人間、醜さが影となり光を生むこと」に安堵する。
幼い頃から、「摘んだらお花が可哀想。ゴミを捨てたら地球の生き物みんなが困る」などと自然の中で育てられ、宝塚歌劇に憧れて歌と芝居の道を選んだ私としては手塚治虫さんを他人とは思えず、ここに来るといつも自身の原点に立ち返れるような気がする。おまけに700円の入場料で手塚漫画読み放題ときたもんだ……内緒にしたい。

不思議と毎度、哲学を〝教えてくださる宝塚の父〟と、〝いつも語り合わせてくださる東京の父〟のコラボのタイミングに当たる。

私はまったくもってファザコンである。

歌手

久し振りにライブをした。
ベッドでかろうじて呼吸する祖母が観客で。
前回まではユニゾンだったけど、今回はソロだった。
夕焼け小焼け、瀬戸の花嫁、旅人へ、瑠璃色の地球
美空ひばりさんみたく、なんとしても音程を保つのが歌手と言いきかせたが感情はとめられず…心配してか祖母が目を開いた。だから私は歌手に向いていない。
 

瀬戸

お墓参りへ。
父や祖父がこんなに美しい街に眠っているなんて、いままで知らなかった。
こんなに恵まれた穏やかな海に囲まれて育ったなんて、いままで知らなかった。
免許とってよかった。

或る一日

ーおじい
もう夕方ですね
今日もお疲れさまです
 
そうやな
なんとか終えることができました
感謝いたします
おまえも身体だけは気ぃつけてな

ーうん
おじいは人生で何が一番大変やった?

そらあ
物事はぜんぶ自分の思い通りいかんことや
あまり無理したらあかんしな
かといってあまえとってもあかんしな

ーぜんぶ思い通りにいかんか?

うまいこといってる思ても
かならず乗り越えなあかんことがでてくる
それを越える繰り返しが人生や

ーおじいもそうかあ
私もあまえとったらあかんなあ
 
最高の孫娘だと思ってるよ俺はおまえに対して
厚く感謝申し上げます

ーいやいやこちらこそ
最高の祖父だと思ってますよ
厚く感謝申し上げます

あとは
静かにおばあちゃんのそばへ行けたらいいなと思ってます
これ以上のわがままは願ってはいかん

ーそっか
いずれ皆んな順々にあとを追いかけますから

あんまり急いて追いかけないでくれ
お願いいたします
心配かけてばかりで申し訳ない

ーお互いさまや
繋がってるということは
心配かけるってことやもんなあ

そうやなあ
 

継承

母と二人でみる、祖母の遺作。
ものすごい数から、お気に入りを拝借。
この才能、継承できなかったね…なんていいながら祖母の意思をたどる。
私が、野の花を好きな理由がわかる。