先生と

いつだったか、鼻声を治したくて訪れた町のお医者さまに、帰り際にまあ読んでみろとお借りした小林秀雄の『考えるヒント』という本を、年内にお返しするべく再び訪れた。

【エビデンスとして残しますので、少し長くなります】

「診療中」という看板は出ているが、相変わらず呼び鈴を鳴らしても誰も受付に出てこない。
診療室というよりも書斎といった感じの薄暗い部屋には小さなストーブが置かれ、誰かが居た形跡が辛うじて残っている。その赤い光に浮かんだ数々の書物は、一生かかっても読みきれそうにないほど厚いものや、ぽかんと口があいてしまうような小難しいタイトルが並んでいる。
人の臓器の仕組みやら哲学やら…恐らく真面目に真理を追求してきた人なのだろう。

声を張って呼びかけても出てくる気配がないので、置き手紙をしようと問診用のペンを拝借して宛名を書いたところで、ゆっくりと白髪の先生が現れた。
本をお返ししに来たと伝えると思い出したようで、鼻声の心配など一切なく、「まあ、かけなさい。」と、待っていたとばかりに、待合席に促された。前回と同様、陽のあたたかい午後だった。

先生は、相変わらず「わからないんだ」「わからないんだ」と口癖にしている。たぶん、相手がおらずとも一人で繰り返しているにちがいない。
あれほど書物を読みあさり、人々の病と向き合ってきた人間でさえわからないことがあるのかと皮肉に思ったが、まずは求められている質問をしてみた。すると、

「君はソクラテスとアリストテレスとプラトンをどう思う?」

〝ソクラテス、きたーーーーっっ〟
内心ゴングが鳴った気がした。
とは?と返しながら、必死で脳内のページをめくった。

「私は、人間の考え方には大きくわけてふたつあると思うんだ、それは、なぜなんだろう。」
試されているのか性分なのか、偉い人は得てして説明が足りない。
「どうも、西洋人の考え方と、東洋人の考え方は違うと思うんだよ。同じ人間なのに、なぜなんだろう。」

あーーーーそーゆー切り口ね、と納得していると、すかさず先生が言った。
「僕は、この世に生を受けてから真面目にやってきた方だと思う。親にも恵まれ、もう亡くなってしまったが、やはり当たり前のように母親にも影響されたと思う。人を形成するものは環境だとするならば、いま、人との関わりをすっかり持てなくなった自分は、いったい何なんだろう。ここへきて、僕はすっかりわからなくなってしまった。」

お話の流れから、ぎりぎりソクラテスの〝人は無知であることを知れ〟的なことを思い出し、そして、この考え屋さんを勇気付けるものは何かとしばし考えあぐねた結果、てか…考えすぎでしょう、と結論した私は、こんな風に答えてみた。

「私は心理学を少しかじった事がありますが、森田療法というのがあります。ユングやフライトが人の心の不調な部分に着目するのに対して、森田療法は、その不調な部分も含めて、いまの心の状態であると認めるところから始まります。どちらかといえば、私はその東洋的な考え方が好きです。でも、両者共通していることは、人が幸せに生きるための探究であることだと思います。(あんま考えすぎると幸せになれんよ、わかるけども。含)」

すると先生は笑い、「いやあ、わからん。」と言った。
「もう、すっかり考えることが出来なくなってしまった。75歳にして、いつ(人生の)終わりがくるかわからないのに、わからないんだ。」

美しいなあ…と思った。
なんというか、命をまっとうしたいんだなあ…と。
愛しさも手伝って、若造のくせに哲学を語り合う相手へのリスペクトから、つい、「わかります」とか言ってしまった。

「自分もつい最近まで、次の一歩を進める場所をいつも考えていました。その状況や環境において、少しでも多くの情報を得て、自分なりの正当かつ最善の選択をしようとしてきました。でも、疲れて考えることができなくなって…星や花や好きなものに感謝しているうちに、前よりも幸せに生きています。ふたご座流星群見たいなあって思ったら、流れ星が見えたり!人が欲しいメッセージをくれたりするんです。」と、思いの丈を話すと、

先生は優しく笑って、「それは、君の感性だよ。僕には、わからないことばかりだ。」と、視線を前に送った。

「最近、縁あって、『かみさまは小学生5年生』って本を読んだんです。我々の使命は、幸せに生きることのみ、らしいですよ。地球って、そのための修行に最適なんですって。お釈迦さまもキリストさまもみんな、それを応援してくれてるそうですよ。私は宗教家ではありませんけどね笑。」と、投げやりみたいにしてみた笑。

その後、宗教論、戦争心理、天皇 皇后美智子様のお話(先生は宮内庁でのお仕事もされていたらしい)など、まわりまわって、ぽつりと本音が出た。

「キリストは若くして亡くなったろう?
75歳まで生きた偉人はいないんだよ。なぜ偉人たちは、どのようにその時(死)を迎えたかを残しておいてくれなかったんだろう…わからないんだ。」

やっと本音だなあと思ったとき、
受付の向こうで、静かに話に耳を傾けている白衣の奥様の存在に気がついた。
先生よりお若い。恐らく、患者も殆ど来ない病院をあけて、夫のために白衣を着て、支えているのだろう。

もうそこにかける言葉がなくって、同じ境地を想像して、自分なりの答えを伝えるしかなかった。

「先日、生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎないみたいな記事を読んだんです。そう考えると、肉体があるうちは、人や社会のなかでの謎解きですが、それが終わるときにはじめて、この世界を作り出しているそのものの仕組みが知れるかもしれません。そう考えると、ちょっとわくわくしませんか。」
なんて…無責任なことを言ってみた。

うちの祖父は102歳にして、死を恐れている。
毎日毎日、その恐怖を亡き妻に向けて訴えている。
いつか必ずやってくるそのときまでに出来ることは、
やはり幸せを感じるための修行なんだろうな…

帰り際、新しい本を貸していただいた。
先生にとっての小林秀雄や鈴木大拙は、真面目に生きた人間、そして死を経験しているというリスペクトがあるらしい。
これまた、私に対する何かのメッセージであるからして、心して拝読する。

本気でやりあったのでお腹が空き、コンビニに立ち寄る。ほうとう汁を手にしてレジに行くと、やたらとチキンが並んでいるのを見て、まさか!と思い、スマホの日付を見ると…
「マジか⁈ イブ⁈」と、つい声に出してしまった。
忙しさにまかせて忘れていた。
「あら、珍しい。」と、店員さんに笑って釣銭を渡された。

珍しい…珍しい…(ショック)

でも、なんというか、
すごく、本来のクリスマスらしいクリスマスだった気がする。
アーメン