感謝

祖母が旅立つ日の空は、こんなに美しい空でした。
祖父の命日の翌日、20年後でした。

「いい人でしたよ」
祖母が、亡き祖父を語った言葉でした。
互いに人として尊重しあっている夫婦でした。

祖母の人生は激動でした。
皆まではきけませんでしたが、終戦後の「Give me chocolate」をリアルにきかせてくれたのも祖母でした。
或る贈収賄事件で祖父の名がニュースに出ちゃったときも、さぞかし大変だったのでしょう。記憶が曖昧になってから、当時を思い出してうなされている祖母をみた時には驚きました。
しかし、恐らく地位や名誉や金の価値は仮初めのものであると手痛く悟った祖父は、全財産を祖母の夢であった恵み豊かな山へと変えます。
その恩恵を受けたのが、私たち親族です。

ウサギやキジやアヒル…スモモやキウイや桃や、胡瓜やトウモロコシやキャベツに椎茸、枝豆やサツマイモやアスパラガス…季節の花々や、空にそびえる大きなもみの木のクリスマスツリー、見渡す限り広がる水面の輝き…美しい自然と、家族。
生まれたときから我々は真に価値あるものを知っていました。

それは、ワラビやゼンマイを入れた籠を片手にほっかむりした祖母。黒い長靴にボロボロのジーンズに白の帽子、たまに裸足だった祖父。
この夫婦のおかげです。そのDNAは、確かに受け継がれています。

祖父が他界してから、約20年ものあいだ祖母はベッドの上で生きました。私は東京から、なるだけなるだけ祖母の施設に顔を出すようにしました。でも、ぜんぜんぜんぜん、足りませんでした。
そんなに長いあいだベッドの上って…私には真似できません。
それなのに、一緒に大きな声で歌を歌って、すぐに帰らなければならず落ち込む私に、「ヒガシヤマ マミちゃん、ダイジョーブィ」と、言ってくれました。
お家に帰りたいのに、身体中痛いのに、自分の息子(私の父)たちが先に逝ってしまって誰よりも辛いのに、帰る場所で居続けてくれました。
「オトコとオンナ、ふたつで、ひとつ」
私を、幸せな選択へと導いてくれました。
暫く忙しくして時間があいてしまったら、「心配するやないの」って、心配していたのは祖母の方でした。
「白い天井ばかり見て、生きている意味がない」
はじめて弱音を吐露してくれました。
それが、新たな仕事をする原動力となりました。

今年の夏は、一緒に歌うことも出来ませんでした。
痰が絡んで咳が苦しそうに出るのに、どうしてあげることも出来ませんでした。後で看護婦の友達にきけば、身体を横にして背中をトントンしてあげると楽になるらしいのに、それすら、してあげられませんでした。
いつも別れ際、「一緒にがんばろうね」が合言葉でしたが、はじめて私は、「お互い、無理するのはやめようか」と言いました。

今頃、祖母はやっと身が軽くなって、会いたい人のところへ自由に会いに行っているのだと思います。
これほど死は恐れるものではないと感じたことはありません。私も、一番近くの空から、たくさん有難うを言いました。

たくさんの幸せと英知をくれた祖母に、そして祖父に、心から感謝するとともに、無事に神様にお認めいただけるよう、お祈りしています。 

生きよう。
婆ちゃんの分まで、楽しく生きよう✨


11月15日