職場におけるメタ化

【職場におけるメタ化】
私は女優としてのお仕事で、撮影待ちの度にわざわざスタッフさんが椅子を持って来てくださることに遠慮してしまい、ど〜うしても慣れなかった。
先日、NHK朝ドラヒロインの葵わかなさんのお話で、「私はヒロインとして当たり前のように皆さんに助けてもらえるけれど、脇役の方やスタッフの方は誰に助けてもらえるの?と考えて…ならば、私は皆さんがこの現場を好きになるように頑張らなきゃという責任を感じた。」と話されていた。葵さんがオーディションに合格して撮影がスタートしたのは若干18歳。〝この人は若くして本物の座長だ〟と畏敬の念を覚えた。これを【メタ化(客観化)】というのだろうか。若干18歳でいきなりアサインされた国民的コンテンツ制作現場において、いまこの環境、状況、組織において、自分がどの立ち位置におり、どんな役割を担っているのかを正確に把握できていることになる。(その考えはしっかり共演者スタッフに伝わっていた様子)
そうなのだ、スタッフさんが私に椅子を持って来てくださるのは、私に親切にするためでも姫扱いするためでもなく、関わる作品を向上させるため、画に残る演者のコンディションを考えてのこと、即ち〝仕事として〟やっていたのだ。
あるドラマの撮影で、私は主演の木村拓哉さんの頬をぶん殴るという役だった。連ドラという出来上がった現場の空気に、チョイ役で(しかもそんな役で)出演するというのはかなりのプレッシャーである。張り詰めた緊張のなかで出番を待っていると、そこに居るはずのない主演俳優が黙って私の隣の席で雑誌を読んでいた。(な、なぜここに…?!) 間が持たず思い切って、「あの、◯役の◯です。後ほどよろしくお願いします」と言えば、「思い切りやっていいから。女の子に殴られるの好きだから」とだけ言い残して去って行かれた…。つまり、チョイ役の私が演りやすいように緊張をほぐしに来てくださったのだ。一見、自分の表現さえできればよい世界に見えるかもしれないが全くもって違う。そのとき私は、〝座長(おさ)〟が何たるかを知った。
職場において個の自由が叫ばれる昨今、〝チームプレー〟の意味を履き違えている人が多いなあと感じてしまう。それは若い方に限った話ではない。チームプレーとは、明確な共通の最終目標に向かって、互いの能力を持ち寄り高めあうことであり、仲良しこよしや利己的に都合よく利用(搾取)し合うものではない。そういえば最近、〝エンドロールに関わった人すべてがクレジットされる仕事と違うから〟みたいな言葉を使う人もいたが、もしかして、私のいた環境が特殊だったからか…??などとも思うが、いや、少なくとも、自分はリスペクトされなくてもよいと考える人はいないはずだ。たったひとりで仕事が完結する人もいないはずだ。ただの仕事ではなく、ともに〝質のよい仕事〟ができるか否かは、各々がその視点をもっているかどうかかと思う。なかなかそういう現場も少ないのだけれど…そんなチームと出会ったときの幸福感といったら、ないのだけど。