双方向

ネットが普及し容易な双方向コミュニケーションが一般化して、はや一時代を築いている。けれど私は、書店に並ぶ本のタイトルを選ぶ楽しみや、見たくもないゴシップをスルーする権利は欲しい。なぜなら情報というものをそこまで信じていないし、価値あるものだけを必要としているから。特に文字だけのコミュニケーションは危険さえ感じている。ペンは剣よりも強しとはよくいったもので、ウィルスメールと同様、誤判断して受け入れてしまったら最後、相手の思惑に少なからず侵食されてしまう。最近よく、〝東山さんにコメントを送りたいのですがどこにアクセスすればよいですか〟というご質問を頂戴しているようで、真心をもって私にメッセージを届けようとしてくださったお気持ちは大変有難い。実際にその幸福感を得たいとも思うけれど、水際で制限をかけている以上、それは諦めなくてはいけない…申し訳ない。
そもそも表現者としての仕事は、それを通して皆さんに娯楽を与えることであり、それが夢うつつであるからこその魅力であったはずだが…もうその時代は懐かしい。
そもそもコミュニケーションはそれほど容易なことではない。相手の背景や顔色や声色、時間軸や距離感、あらゆる情報を読み取り行うもので、本来それを読み解く本能が備わっているはずなのに、我々は便利さや楽を追求し〝いいとこ取り〟しようとすることで、引き換えにその力を忘れかけている。
貴方ってこんな人物だ(そうあって欲しい)、貴方は間違っている、貴方はこちらをもっと理解するべきだ、貴方はこちらの価値観に服従するべきだ云々…もはやこの事態の理解が追いつかない。
表現することを超えた範囲で、誰かのご期待に沿うことは出来ないと自身の器量のなさを認めた結果でもある。
私のように疲れている人はきっとどこかにいるはずである。誰かの無責任な文字に傷つき、胸を痛めてしまっているような誰かが。
そんな誰かを勇気付けることが出来たらと、私は、私が感じるままひとつの表現をさせていただいている。